北上麗花という「女の子」(アイドルマスター ミリオンライブ!)

「空想の個性」を語る際には普遍的に言えることだが、自らが考えた個性の像と、その個性を産み出した人物が考えた像(実像)というのは、必ずしも、いや、ほとんどの場合一致しない。
しかし、それでも、自らがとらえた像は、虚像とはなりえない。
それは虚像ではなく、実像を多角的に見た場合の1つではないだろうか。
個性は解釈に挑んだ者の数だけ、見えかたがある。

前置きが長くなったが、今から書く北上麗花という解釈はあくまでも、私個人のものでしかない。
この解釈は私自身にとっては真であるが、あなたにとっては違うかもしれない。
しかし、この記事が、あなたなりの解釈を促す助けになるのであれば、私がこの解釈を世に送り出した意味はあると、そう信じて書こうと思う。

北上麗花という難解な個性を理解するには、彼女の「普通」を理解しなければならない。彼女のセリフに「ナイス普通」という言葉があるように、彼女は「普通」というものを大きなプラスの性質であると考えていることが窺える。

そもそも、普通というのは「一般から大きく外れてない」ということである。
アイドルマスターで「普通」という個性を与えられたアイドルは例えば765ASの天海春香、CGの島村卯月らがいるだろう。

そんな彼女らは「普通」というパーソナリティの元、「王道的な主人公」としての特性を強く与えられている。「10代後半という年齢」(なぜこれが普通につながるかは割愛)「普通ゆえの挫折」「仲間をまとめる核」等の特性である。

そんな中、ことあるごとに「普通」を口にする北上麗花に与えられたパーソナリティはというと……
「20歳という(他と比較して)高めの年齢」「超人的な身体能力」「奇怪な言語・思考能力」等と、おおよそ「普通」とは少し離れているかのようなものである。

そんな彼女が、なぜ「普通」を重要視するのか。
それは自らが「異端」であると、彼女自身が理解しているからであろう。
世の大多数の人間は「普通」である(というよりも大多数がとる行動が「普通」と定義される)。
そんな中、かなりスペックが高く、独特の思考をもつ彼女は、おそらく相互理解というものをできないことが多々あったのではないだろうか。
日頃感じるすれ違いは、彼女の人格形成に大きな影響を与えたのであろう。すなわち「普通」じゃないといけないんだと。

これが彼女の根幹だとして、しかし、彼女は自分を抑圧しないで良い、天職に出会った。

これこそが「アイドル北上麗花」ではないか。

そもそも、アイドルというのは「普通」とは大きく離れているものである。(前述したように「普通」のパーソナリティをもつアイドルもいるが)
アイドルたちのパーソナリティは、むしろ、普通ではない方が(=個性が際立っていた方が)、職業上プラスに働くであろう。
そんな「異端」に囲まれた環境だからこそ、北上麗花は「異端」でありながらも「普通」を愛する女の子としてのパーソナリティを確立できたのではないか。
そう考えると、北上麗花というアイドルの言葉ひとつひとつが、また違った表情を見せてくれるかもしれない。